2025 / 05 |
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舞台では何ともいえない色気のある人を観ていたい。
反対に言えば色気のない人は主役を張らないで欲しい。
どんな役であっても。
その色気が
舞台で彼を取り巻く人々の人生が、心が狂っていく事を
彼自身も壊れていく事を
そしてドラマが、悲劇が、喜劇が生まれる事を
観客に理屈ぬきで納得させる。
主役を愛すべき存在に見せる。
主役はどんな悪役であろうが、狂人であろうが
現実世界にはいて欲しくないような人物であろうが
魅力的に見えて欲しい。
色気のない主役の舞台は退屈だ。
主役に魅力を感じないから。
その人の為に何故周りの人々が翻弄されるのか、
全然納得できないから、非常に不自然に見える。
嘘に見える。
舞台は所詮、嘘の世界だ。
でも観客は観ている間、その世界を実の世界と感じ、
登場人物と生きている。
それが嘘に見えたら、
登場人物と一緒に生きる事はできない。
今月、弱法師の俊徳を演じた藤原竜也くん
どの舞台を観てもいつも色気がある。
初舞台の映像を見る機会を得た。
その時、彼はまだ、十代半ば。
既に映像からも感じられるほどの色気を持っていた。
それから約8年。
ますます表現の幅が広がり、
色気の危うさは少年のまま、濃厚さは一層深まっている。
こういう呼び方は違和感あるけど、天才、って言うのかな。
努力もしているらしい。
努力をすればしただけ実る感性。
まだまだ楽しみ。
彼のような色気のある役者が増えるといいな。
観に行くのに私は忙しくなるけど。
色々なところに発表されている評論家による舞台評論。
観る前に読むと先入観が植え付けられたり、
観てから読むと納得したり腹立たしかったり。
評論家と言えども人の子だもの。
その方の好みもあるだろうし、エコ贔屓や思惑も
本人の意識するしないとは別のところであるはず。
だから、評論読んで影響されるのは馬鹿馬鹿しい。
・・・と思いつつも、好きな舞台に良い評論を書いてくれれば嬉しいし、
そうでないと「この人、おかしいんじゃない!?」と
どちらがおかしいのかわからないような暴言を呟いたりする。
たまに有り難いなと思うのは、
舞台を観て漠然と持っていた感覚や感想を
ピタリとした言葉で表現してくれた時。
「そうそう、そうなのよ。これだったのよ」
と、言葉に出来た安心感を得る事になる。
でも、いつも思う。
言葉にしないと安心できないのって嫌だな。
言葉にせず、心から心にダイレクトに伝えられたらいいのに。
それが出来ずに、いつも言葉を探す。
見つけられずに苛立ち、言葉を重ね、
さらに苛立ち、どんどん心と遠いものになる。
こうして書いていても。
評論家の方々ってそういうジレンマないのかな?
あったら評論できないよね。
3ヶ月長かったのかなぁ?短かったのかなぁ。
思えば昨年末、勘九郎の名前最後の舞台から始まった気もする。
この興奮状態。
新年会があり、お練り&奉納舞踊があり、
襲名パーティーがあり、事件もあり(驚!)
切符取れるのぉ?(泣)という大騒ぎもあり、
やっと親しい仲間、みんなで観る事の出来た3月初日。
そして、いつも以上に足繁く東銀座に通い、
仲間達と一喜一憂し続け、
落ち着かない日々を、ワクワクする日々を過ごした。
涙し、笑い、喜び、怒り
これ程、喜怒哀楽全てを味わったことはなかったのではないだろうか?
一介のファンである私ですら、このような毎日だったのだから
ご当人、直接の関係者の方々は、さぞや、と思う。
7月には大坂で襲名興行が行われる。
きっと、あっという間の1ヶ月だろうけど、
ゆっくり英気を養って欲しい。
無事、3ヶ月興行の千穐楽を迎えたことで、
お江戸に暮らすのファンとしてはホッと一息。
ここまで満ち足りた日々を過ごすことが出来たのも
周りの全ての方々のお陰。
自分を取り巻く全てに感謝。
有難う。
1997年に発売された勘九郎(現 十八世勘三郎)さんのVTRを
久し振りに観た。
冒頭、鈴木治彦さんとのトークショーでの話。
今見てても面白いし、未だ語り継がれている話も多い。
小さな芝居小屋をまわってみたい。
海外にストーリーのある歌舞伎(四谷怪談とか)を持って行きたい。
鏡獅子と道成寺の踊りの違い。
ここ十年が踊りの一番いい時期・・・
(え?それじゃあと何年?)
左團次さんの下ネタ(?)含むエピソード色々。
勘三郎さん、今語っている夢と同じこと話している。
そして語っていたことが実現している。
これからも一つひとつ夢叶えてね。
一緒に夢、楽しませてね。
2オクターブ上の「ド」を出せないのは間違いないので、
合唱で迷わず「ソプラノ2」になった。
ソプラノ2になることには、ほとんど迷わなかったのだが、
ソプラノ2の出さなければいけない音が掴めず
歌いながら迷いっぱなし・・・
GW中に参加した舞台の歌も音が低めで
和音の中に埋もれるような音が多かった。
音を掴めるまで非常に時間がかかった。
今迄はソプラノ1がほとんどでいつも1番上を歌ってたからねぇ。
でも、掴まえたら気持ちいい。
和音の中で自分の音が適切にはまる心地よさ。
今回もその心地よさを期待しているのだけど、
いつ出来るようになるかなぁ。
他のパートの人が正しく歌ってくれないと
自分の居場所がわからなくなる・・・
他力本願な私かも。
繰り返し音を聴いて覚えよう。
好みの問題だとも思うけど。
同じ演目でも、カーテンコールしたい時としたくない時がある。
今月歌舞伎座の野田版研ぎ辰。
初日からカーテンコールがあった。
そしてスタンディング・オベーション。
前の方の席にいたこともあり、周囲の人の内には
開演前からスタンディングする気満々の人もいた(笑)
歌舞伎にカーテンコールがあっても構わないと思う。
でも、この日は気乗りしなかった。
自分の両脇も後ろも全員立ってしまい、
埋もれるのはイヤだから一番最後に立ち上がったけど(^^ゞ
この野田版研ぎ辰の初演の時、特に千穐楽は、
何の違和感も無く、思わず立ち上がった。
歌舞伎座で新しい事を起こしたことに喝采した。
それが例え他の舞台では新しくなかったとしても、
歌舞伎座で行う事の是非はわからなくても
「試した」「挑戦した」ことに喝采できた。
今回はもう、新しくない。
だからその事に喝采できない。
作品の質、内容を問いたい。
前にも書いたとおり、この作品嫌いではない。
特にラストシーンは、私好みの滅びの美学だと思う。
辰次は助かったと思った途端に殺されているけど、
納得しているような気がするから。
でも。
もっと良くなって構わない作品なんじゃないか?
どんどん練り上げられる内容を持った作品じゃないか?
それが出来なければ、この野田版は残らないだろう。
せっかく歌舞伎に違う風を吹き込んだんから、
このままじゃ勿体無い。
今月に入って3人目の色気のある男。
なかなかの高確率だわ♪
四季の「解ってたまるか!」を観てきた。
その主人公 村木 を演じるダンサー加藤敬二さんが
スーツ姿でライフルを抱える。
もしくはハッピでねじり鉢巻姿でライフルを構える。
そのどちらの姿も何故か格好いい。
声も私好みだし、姿に色気がある。
加藤さんが四季に入りたての頃、
CATSのミストフェリーズで踊っていた姿からは想像できなかった。
当時、彼は非常に切れのいいダンサーだと思った。
でも、それだけだった。
若かったのだろう、「味」のあるダンサーではなかった。
それで私は同じミストフェリーズなら飯野おさみさんが好きだった。
飯野さんの猫は実に愛らしくチャーミングだった。
それが年月を経て、加藤さんも見事に「味」のある
チャーミングな色気を持つ舞台人となった。
やっぱり男の魅力は40を超えてからかしらねぇ。
いや、今月2人目の色気のある男は20代だった・・・
時分の花ですかねぇ。
何だかんだと忙しい連休を過ごしていたはずなのに
その間にもしっかり観劇。だって、観劇こそが栄養剤。
で、5月歌舞伎座初日も昼夜しっかり楽しんできたので
珍しく真面目に感想文。
若手の車引。
もちろん技術的にはまだまだだけど。
若々しさが初々しく、今はこれでいいんじゃない?
と納得できる出来。
今回初めて「きれいな」松王を観た。
芋堀長者。
かなり久し振りの珍しい演目。
なんで今迄、上演されなかったの???という楽しさ。
三津五郎さん、よく上演してくれた!さすが。
芝居前。
なんて豪華な出演陣。
両花道に男伊達・女伊達が勢揃い。
この場面だけ出演の役者もいて勿体無い。
何とかもっと出演して貰える手立てはなかったの?
髪結新三
新三がもうひとり?と思うほど姿の良い三津五郎さんの忠七。
新三が割り食っちゃうじゃない(笑)
他の日に観た友人は「そうでもなかった」らしいけど、
初日、お熊を送り出す時の新三の姿の色っぽかったこと!
あの色気を見せられたら、忠七やめて新三に乗り換えるなぁ。
四ノ切
澤潟、中村屋、あと三津五郎さんも見たことがあると思う。
その時に比べて、菊五郎さんは狐言葉が思ったほど狐言葉ではなく、
普通の台詞に近く感じた。
動きも年齢的なもののせいでしょうねぇ、重い・・・
他の方の狐を見た時は、
子狐の子供にかえって親を思う可愛らしさを感じ、
涙することもあったのだけど、今回は???
菊五郎さんの狐は良いとの評判だけど、
重さばかり気になって私にはわからなかった。
初日だったから?
鷺娘
玉さまワールド全開!
普通の鷺娘の踊りとは違うというけど、良い。
舞台にこれでなくてはいけない、なんてないんだもの。
これはこれで「玉三郎さんの鷺」で完成でしょ。
野田版研辰
表現方法が「野田さん的現代劇」の手法なので、
それが苦手な人には面白くないだろうなぁ。
普通の研辰が、こうだったらイヤだけど、
野田版と謳う限りは構わないし、
同じ野田版鼠小僧より、この作品の方が好き。
でも今回の再演を観て、初演時より古臭く感じる気も・・・
それにしても歌舞伎役者の身体能力は素晴らしい。
そんじょそこらの役者ではあれだけ動いて
あれだけ台詞を聞かせることは出来ないに違いない。
今月はまだ何回か観に行く予定。
観る度に感想が変わるだろうな。舞台は生き物。