2025 / 05 |
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色々なところに発表されている評論家による舞台評論。
観る前に読むと先入観が植え付けられたり、
観てから読むと納得したり腹立たしかったり。
評論家と言えども人の子だもの。
その方の好みもあるだろうし、エコ贔屓や思惑も
本人の意識するしないとは別のところであるはず。
だから、評論読んで影響されるのは馬鹿馬鹿しい。
・・・と思いつつも、好きな舞台に良い評論を書いてくれれば嬉しいし、
そうでないと「この人、おかしいんじゃない!?」と
どちらがおかしいのかわからないような暴言を呟いたりする。
たまに有り難いなと思うのは、
舞台を観て漠然と持っていた感覚や感想を
ピタリとした言葉で表現してくれた時。
「そうそう、そうなのよ。これだったのよ」
と、言葉に出来た安心感を得る事になる。
でも、いつも思う。
言葉にしないと安心できないのって嫌だな。
言葉にせず、心から心にダイレクトに伝えられたらいいのに。
それが出来ずに、いつも言葉を探す。
見つけられずに苛立ち、言葉を重ね、
さらに苛立ち、どんどん心と遠いものになる。
こうして書いていても。
評論家の方々ってそういうジレンマないのかな?
あったら評論できないよね。