2025 / 05 |
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ほんの1週間くらいの公演だったけど、
市村さんのファンなら必見!だと思う。
観に行って良かった~!再演希望!
ワン・アクターズ・ショーと銘打った「一人芝居」
繰り返し上演している「クリスマス・キャロル」みたいな感じ
というと、わかりやすいかな。
ただ、1つ全く異なるのは、舞台の上には
「三文役者 市村」を演ずる(?)市村さんも登場する事。
その市村がペール・ギュントに話を聞く形で物語が始まる。
イプセンの戯曲ペール・ギュント、一人の男の20~70歳の人生を、
有名なグリーク作曲「ペール・ギュント」の曲と
シャルル・アズナブールの曲で紡いでいく。
そのストーリーも歌でも心が揺れ危うかったのに
最後にノックアウト!
ペール・ギュントが市村に言う。
「これが私の人生だ。
で、君は何をやっているんだね?」
市村は答える。
「僕?僕は役者です」
この一言で涙。
ここで、こう書いて伝わるのかどうかわからないけど。
役者 市村正親。
ペール・ギュントの話だったのか市村さんの話だったのか
わからなくなった瞬間だった。
再演、再々演・・・・・ずっと、市村正親を見せて欲しい。
本当はお休みだったであろう今月。
上演してくれて有難う。
前売発売の時、
優先抽選予約に外れ、一般前売に敗退し
カード会社扱い分でようやく入手した舞台。
取れなかったらオークション探そうかと思った。
それほど、どうしても観たかった舞台を観てきた。
面白かった~!
シェイクスピア&蜷川作品&歌舞伎(コクーン歌舞伎含む)が
全て織り込まれた感じの舞台だった。
シェイクスピア全作品を織り込んだ井上ひさしさん、すごい!
台詞一言しか入っていない作品もあるようだけど。
とても全部は見つけられなかった。
知らない作品もあるし。
意識してか、しないでか、ご自身の作品まで
パロディのように利用した蜷川さん、さすが。
そう感じたのは私だけかなぁ?
観ながら
「あれ、これは蜷川さんのあの作品」
「この構図はあの時の・・・」
って何回か思ったんだけど。
歌舞伎の所作、某歌舞伎役者の所作に似ているなぁ
と思って観ていたら、やっぱり、
その歌舞伎役者に教わったとプログラムに書いてあった。
でも、お扇子の使い方、もっと練習して欲しい。
人形振りも勿体無い、もっと練習して。
役の中には蜷川さんの舞台で観た時のキャストの印象が強く、
その時の役者にやって欲しかった~
と思うものもあった。
でも、そうなると全体のバランスが悪くなるかな。
やはり、これ以外、キャスティングは変えられないのかもしれない。
もう1度、観たいな。
当日券しかないのよねぇ。
当日並ぶ体力あるかなぁ。
ご一緒できた皆様、
楽屋で遊んでくれた(爆)皆様、有難うございました。
ちょっと物足りなさ有り、これでいいのか?有り。
でも、ともかく無事、公演終了。良かった良かった。
今回は出演時間が短かったせいかな。
今ひとつテンションが低かったような・・・
諸事情によりマエストロも打上げに来ないし、
いつもならキャストとも話するのに今回は出来なかった。
これは奥まった席に隔離されたせいかもしれないけど。
年々お開きの時間も早い気もするし、
打上げ参加者も少なくなってきたかも。
自分も段々撤収する時間が早くなってるし。
でもこれは年齢によるものか・・・
それより何より、心は早くも来年の公演。
来年の演目の方が楽しそうなんだもの。
CD買ってスコア見ようかなぁ。
と言いつつ、気づくと年越し、が例年のパターン。
今週末の出演オペラ、
今回はほとんど切符をさばいていない。
一緒に出るみんな、ごめんね。
いつもだと知り合いに片端から案内を送るのだけど、
今回は全くその気になれず、
ほとんど知らせていない。
舞台に立つ知り合いならGive and Takeで
「観に来て~!」
とも言いやすいのだけど、残念ながら
周囲にそういう友人がほとんどいない。
舞台に立つ知り合いは、一緒に舞台に立つんだもの。
もしくはキャストと知り合いだったりするし。
他の知り合いだと、どうしても素人の舞台に
私の為に時間を費やさせるのが申し訳なくなる。
「来てね」と切符を無料で渡すのも、
相手の心の負担になるのは同じこと。
特に毎年だとねぇ。
オペラに興味ある人いないし。
興味ない人は幾ら知り合いが出ていても苦痛だと思うもの。
そんなわけで今回は営業活動無し。
来年はどうしよう!?
プロのオペラでもオペラ人口って少ないから、
何かイベント性や話題性がないと人を呼びにくいと思う。
ケレンでも何でもいいから見たいと思わせ舞台にして、
最初は今と同様、出演者も製作者も総出で営業。
それを10年20年続けないと客が増えないかも。
ミュージカルの舞台のように採算の合うオペラ
そこまでには先が長い。長すぎる。
今は先も見えていないかも。
でも今のままでは
客を呼べないから金をかけられない
金をかけられないから客を呼べないの悪循環。
古式ゆかしき風習にはまって変えようとしない人達もいるし。
誰かそれを断ち切る力、財力、持っている人、いないかな?
誰か、でなくても、自分で出来ること、何かないかな。
別の役、修道女も始めてなので
どんな姿が良いのか、工夫すべく検索。
しかし・・・・・修道女で検索かけると
怪しい(^^;)サイトが色々出てくる出てくる。
特に知りたかったヴェールについて絞って検索したら
今度はRPG系らしきサイトばかり。
検索したなかで修道女や尼僧に特化したサイトがあった。
HNは女性名だけどマニアな男性が作っているみたい。
ヴェールの仕組みとか書いてあって詳しい・・・(^_^;)
どうやって調べたのかしら。怪しい・・・・・
役に立ったから有り難いけど。
もっとも自分だって端から見たら怪しいか。
「あの鎧さぁ~」とか「あの場面、男だから・・・」とか
街中、歩きながらの友人との会話、変だわ。
もうすぐ本番の舞台、出番が少ないからか、
衣裳が美しくないからか、メイクも地味だからか
今ひとつ気合に欠けてたのだけど。
ここにきて、ようやく楽しくなってきた。
というのも、余計な事に思いを巡らせられるようになった為。
最終幕はバレエのグラン・パ・ド・ドゥになっている。
あの曲は某バレエの1幕ラストに似ている。
あのタイトルロールは恋人よりママ大好き。
しかも何だか手鎖好きで似合ってる!?
(キャストの方、ごめんなさい)
そんなことを考えてたら、なかなか楽しい話に思えてきた。
でも、これ、悲劇のはずなんだけどね。
新解釈でもヒロインにとっては間違いなく悲劇。
恋人の為に、金持ちの伯爵を袖にして
あげく恋人を救う為に命まで捨ててしまうんだもの。
でも、その恋人は「ママ大好き♪」で
「ママ~!(泣)」と言いながら殺されるし(ーー;)
このヒロイン、伯爵に惚れれば良かったのにねぇ。
伯爵だって悪い人じゃないよ。
本日、めでたく千穐楽の歌舞伎座。
今月は千穐楽は日曜日なのに行けなくてちょっと残念。
千穐楽が土日の時は観に行きたいと思うけど
今月は別件があるので断念。
でも他の日に1部~3部まで全部観る事ができた。
今月はどの部も歌舞伎らしい(?)演目と
軽く初心者にも楽しめる演目が並んでいて
バランスいいなぁ~と思った。
多少の好き嫌い、眠くなる演目はあるけど
総じて今月はどの演目も嫌ではなかった。
その中で1番!は雨乞狐。
勘太郎さんの踊りは観ていて気持ちがいい。
基本が出来ている感じがするし、
その中で固まっているわけではなく、
のびやかに全身で踊っているし。
ラスト、狐が勘九郎狐の名を賜る場面。
この踊りは勘九郎(現 勘三郎)さんの為に創作したものだけに、
長男 勘太郎さんがしっかり引き継いだんだなぁ~と
感無量。ウルウル。
もう、勘太郎さん本人が聞いたらプレッシャーになるだろうくらい
今後に期待いっぱい。
勘三郎さんも今月観て改めて幅の広い役者だなぁ~と。
1部にはちょこっと舞台を横切るだけの役だけど、
非常に綺麗な2枚目のいい男
2部では暑苦しささえ感じるような意地悪な仲居。
3部では愛嬌の中にも怖さのある破壊坊主。
これだけ色々な姿を見せてくれるから大好きな役者。
色男だけでは物足りない。
ところで今回、この坊主、怖かった。
何も考えず平気で人を殺している姿が
今時よくニュースに取り上げられる殺人犯のよう。
今の世の中、この坊主みたいな人が増えちゃったのかなぁ。
今回の串田さん演出。
歌舞伎座で上演するにあたって工夫していて良かったけど、
やはり中村座の方が大きさが合っているかも。
小屋の大きさって演出の内、なんだね。
さてさて中村屋のみなさん
9月はゆっくり休養、英気を養ってね。
10月はまた期待いっぱいだもの。
ここ数日は暑く晴れた日が続いていた東京だが、
今、外に出たら雨。
先々週も何かにつけて雨。これは・・・
きっと歌舞伎座で勘太郎さんが踊っている雨乞狐の影響!
と、私の周囲ではささやかれている。
それほどに魅力ある踊りっぷり。
その為、八月歌舞伎座初日以来、東京では雨・・・
と勝手に友人達と話している次第。
で、出来る事なら水不足の四国で踊って欲しい。
今は八月興行中で、すぐには四国に行けないだろうから、
ともかく四国を祈って思って踊って欲しい。
と言っていたら、台風11号、12号と発生。
この台風が来れば四国も何とか水不足解消できるかな?
でも水害も怖いし。
適度に降る様に願う、というのは大自然に対して
おこがましいことだろうな。
珍しいものを観に行った。
ドイツの演出家ヨッシ・ヴィーラー演出の四谷怪談。
さてはて、どんな舞台?
正直一言で言ってわからなかった。
四谷怪談は南北の書いた文も読んでいるし、歌舞伎も観ている。
一般には怖い幽霊話と思われているのかな?
歌舞伎の四谷怪談を観てからは、
怖いのは生きている人間で、お岩様は哀しい女性だと思っている。
その哀しい話が胸に沁みる好きな作品だ。
この外国人の演出家は何を見せてくれるのだろう。
新しい別の方向の視点を見せてくれるのではないだろうか?
でも外国人にこの話はわかるのだろうか?
期待と不安、ない交ぜで観に行った。
新しい視点に嬉しくなるのか、
何もわかっていない、と受け入れられないことになるのか
どちらでもいいと思っていた。
ところが、どちらでもなかった。
良いとも悪いとも、共感できるとも拒絶したいとも
全く何もなかった。
現代の服をした登場人物。
地下鉄のホームを模したらしい装置。
南北の時代のままの台詞。
そのどれも受け入れられないものは一つもなかった。
でもその全てが無機質で何物でもなく意味がなく感じた。
記号が並んでいるようだった。
怖さも哀しさも面白さも楽しさも何も感じなかった。
何の表情も見えなかった。
その何もなさを伝えたかったのか?
なら、成功だろう。
でも、そういう舞台には何の興味もわかないなぁ。
空気のようにあってもないのと同じ。
どうでもよい。観たいとも観たくないとも思えない。
心地よくも心地悪くもない。
面白くもなければ退屈でもないし観るのが辛いわけでもない。
何の感情も起きなかったこの作品。
なんだったんだろう?
(なんだったんだろう?という感情が生まれているじゃないか
というツッコミが入るんだろうか?)