電子書籍 や 速読 って必要でしょうか?
よくわからないんですが。
電子書籍は沢山の書籍を持ち歩かなければならない時には便利かな。
でも、何か研究したり勉強していなければ
沢山の書籍を持ち歩く必要ってないような気がします。
普段、私は必ず本を持ち歩いています。
読書が趣味で、読みかけの本を常に持っていないと
落ち着かない。
でも1冊か2冊で十分。
なので、電子書籍はいらない。
それにモニターで本を読むのって疲れます。
いくらネットで資料を見つけられても
読むときにはプリントアウトしてしまうもの。
そんな私にとって不安なのは
世の中、電子書籍が主流になってしまって書籍が衰退すること。
お願い!
そんなことにはならないで。
小説好きな私としては
これからも多くの種類の、良質の、
子供には読むのが難しく、大人になったら読みたいと思う
そんな小説を出版続けてください。
速読も私にはいらないものに思えます。
TVでやっているのを見ましたけど
速読する必要ってどこにあるんですか?
何のために速読するんですか?
速読できると読書が楽しくなる
なんて書いてあるのも見ましたけど
速読できなくても、私は読書が楽しい。
速読で読書が楽しくなるというのも疑問感じます。
速く読めれば楽しくなるってものではないんじゃないかしら?
楽しいのは「書籍を早く読み終わる」ということで
読書が楽しいのとは違うように思います。
その速度もTVに出てた人がたしか
「1年で100冊読めて楽しい」
と言っていましたが
速読できない私でも1年100冊読めます。
そんなの自慢にもなりゃしません。
速読って、私が図書館で本を借りず、本屋で購入するのと似てるかも。
読書を楽しむなら借りて読んでも良いのだけど
私は書棚に本が増えるのもかなり嬉しい。
速読好きな人って読んだ冊数が増えるのが嬉しいのかな
そう思うと気持はわかる。
速読は書籍を早く読むということで
資料を沢山読まないとならない場合の道具として
とらえれば、便利でしょうが
それを「読書を沢山しています」って主張されるとね。
違う
と反論したくなります。
どっちもいらないな。私は。
どっちも読書をつまらなくするわ。多分。
脳卒中を起こして麻痺していく過程、感覚を
また、意識を取り戻してからのことも
よく記憶している!
という驚きとともに読み終えました。
また、面白いと思ったのは、
脳卒中の後の彼女のモノの見方、感じ方、考え方が
最近私が読んだ観念や哲学の書物に書かれていたことと
同じものと思えることでした。
右脳によって「わかること」
左脳によって「わかること」
それをバランスよく、その声をしっかりと聞いて。
自分の意志で無数の選択肢の中から選ぶこと。
そういえば昔読んだリチャード・バックの作品にも
人生は無数の分岐があって、
人は自分でどれかを選びながら生きている
というようなことが書いてありました。
それを読んで以来、私は
「全ては自分が選択したこと」
と意識するようになりました。
この本を読んで、その選択は
今まで私が意識していた以上に広範囲
で行われていた、または行うことが出来ると感じました。
もう少し、穏やかに心を保つことができるようになれますように。
思った以上に読んでました。
5月からマクベス暗譜の為に
「読書禁止」していたはずなのですが、
それでも全く読まないということもなかったので
久し振りに「活字中毒の記録」を更新しようと
読み終えた本を集めてみたら・・・
3ヶ月弱で13冊でした。
外出の際は持ち歩かなかったのにね。
一番読むのは通勤途上だと思っていたので
それは確かにやめていたのに。
ほとんどが自宅で食後の1~2時間で読み終えたもの。
その他は寝る前にベッドで読んだもの。
というわけで相変わらず感想などはほとんど書いていませんが
(読書感想文ってトラウマになりますよね。読書趣味でもアレは嫌い)
「活字中毒の記録」に13冊アップしました。
これでも、読みたいのにまだ読んでいない本、沢山あるのよ。
「活字中毒の記録」
の読書記録、まとめてアップしました。
爆笑問題さんのシリーズ、一通り読破。
こういう本も大好きですが、
その後に
歌うねずみウルフ (偕成社おはなしポケット)
なんて読むと和みます。
音楽好き、小動物好きな方、おすすめよ。