2025 / 05 |
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掲載された記事は、あちらこちらで引用されているので
ここでは引用はやめておきます。
要約だけ。
3匹の雌猫を居住しているタヒチで飼っている坂東さん。
彼女はその雌猫達を避妊手術することより
生まれてくる仔猫を隣の崖下に放り投げているのだそうです。
それには彼女なりの
子種を殺す(避妊手術)=できた子を殺す(生まれてきた仔猫を崖下に投げる)
という論理の元なのだそうです。
テロや戦で多くの人が殺したり殺されている中、
猫の "生き死に" で騒ぎになるのは、日本も平和な証拠。
という意見もありますが、
それは置いといて。
何とも坂東さんの説には落着かないものを感じます。
何故、生まれてきた仔猫を殺さなければならないのか
理解できないんです。
坂東さんの
「猫に避妊手術を施すことは、飼い主の都合」
というのは、その通りだと思います。
でも、それと仔猫を殺す事が同じ、とは思えません。
避妊手術は1匹の猫に対する飼主の責任でしょうが
その1匹の猫が産む何匹何十匹もの仔猫を殺すのは
産んだ猫+生まれてきた何十匹もの猫に対する飼主の責任に
繋がるんじゃないでしょうか?
命の重さを量るのは馬鹿げた事だけど
1匹の猫の「生」と何十匹の「命」を量りにかけてつりあう
という坂東さんの考え方が私には理解できません。
何故、坂東さんは生き物を飼うのかしら?
そして。この方は人間の避妊も同じように考えるのでしょうか?
人間の避妊だって「子種を殺す事」だと思うのですが。
人間を持ち出すのは極端すぎるかしら。